自己肯定感を上げる方法を考えてみた。自分の価値を信じるのに必要なのは”根拠”。

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自己肯定感を上げたいと思う人は少なくないらしく、Google検索窓に「自己肯定感」と打つと「自己肯定感を上げるには」というキーワードが真っ先に躍り出てくる。

しかし提示される方法は「自分を受け入れる」とか「ダメな自分を許す」とか、抽象的な上に「要は心持ち次第」という内容が多い

自分が自己肯定感を上げる方法を切実に探している人間なら、「……具体的にナニすればいいの?」とか「そんな風に思えないよ……」と立ちすくみそうだなと思った。

なんかいい方法ないかねぇ……。

そんなこんなで、自己肯定感を上げる超具体的な方法を考えてみたという訳である。凝り固まった気持ち・思い込みというのは、そう簡単に変えられない。だからまず行動を変えるのだ。

私が思う自己肯定感を上げる方法は下記2つ。

  1. 人を褒める、褒めるポイントを探す。
  2. 習い事を始める。(実績を生み出す)
山猫

恐れながら、、、

この記事を読む前にぜひ下記の記事の自己肯定感とは?を読んで欲しいです。読んでからの方がこの記事の内容が理解しやすいです。

(本当は1つの記事だったのですが、長すぎたので2部構成にしたんです……

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目次

人を褒めることで”褒める目”を養う。

1つ目は「人の褒めポイントを探す・褒める」である。

自分の良いところを探そう!と思い立って脳内でガサゴソしたところで「まぁ強いて言えば○○が人より出来るけど、そんだけじゃん。それも大したもんでもないし」と思いがちである。

なので、まずは他人を褒める。褒めポイントがむき出しになっているような、わかりやすいスゴイ人ではなく、パッと見は普通な人をよく見て褒めポイントを探してみる。

しかも「ピンポイントで具体的に」を褒めることに挑戦する。

可愛い・綺麗・頭いい・優しい、みたいな漠然とした褒めをパスしても、謙遜の文化上、相手もそれを受け取りにくいし、最悪ゴマすりと思われる。

しかし、引継ぎのメモがわかりやすい!とか服の配色バランスが絶妙!とか、「あの時、~してくれて凄いホッとした」等、ピンポイント&具体的に褒められると、相手は「そんなトコに気付いてくれるなんて、、、」と感動が謙遜を上回って、気持ちよく受け取ってもらえる。

人を褒めるハードルを下げれば自分を褒めるハードルも下がるだろう。

それに、もし自分が”ほかの人間”と比べてどこが良いのか知りたいなら、自分だけを見るのではなく、”ほかの人間”をよく見る必要がある。

ピンポイント&具体的に褒める訓練は、最初は気恥ずかしいし、難しいし、言っても「はぁ……」という肩すかしな反応をされることもあるかもしれない。

しかし人を上手く褒める能力が身につけば、それはとてつもなくデカい武器になるので鍛えて損はない。褒めがクリーンヒットすれば好感度も上がる。

急がば回れで、まずは他人を見て”褒める目”を養いましょう。

褒めポイントを探すうちに、自然と観察力も鍛えられます。

ちなみに、もし褒められたら……

基本的に、人を褒めると褒められやすくなる

※もちろん相手による。なので褒めのお返しは期待しないこと。

もし褒めてもらったら、わかりやすく喜んで受け取ろう。「ホントですかー!?嬉しい~」とか「そんな風に言っていただけると励みになります~!」とか「やった~」と言おう。「嬉しい~、もっと言って(笑)」なども一緒に笑えるのでオススメだ。

褒められたときに、ただスッと「ありがとうございます」と言うのは気が引けるかもしれないが、「そんな風に言ってもらえるなんて嬉しい」と付け加えれば、かなり綺麗に着地できる。

山猫

リアクションの良い人の方がプレゼントしたくなるでしょ?同じです。褒め=言葉のプレゼントです。

信じるには根拠がいる。→習い事をしてみては?

「あなたは価値があります、自分を信じましょう」と言われて、「そうよね、よく考えたら私って価値あるわ!」と、つるっと思えるだろうか?

もし私が自己肯定感が低くて悩んでいるときに、こんな綺麗事を言われたら会場に響き渡る特大級の「ケッ」をお見舞いする。

信じられないときに「信じましょう」とブン投げられるのは、空腹なのに「ううん、君はお腹空いてない!気のせいだよ!」と言われているのに近い。無理がある。

お腹空いてんだよ、食い物が欲しいんだよ……!

自分には価値があると信じたいんだよ、根拠が欲しいんだよ……!

そう、「自分は価値がある存在だ」と信じるには根拠が必要なのである。

山猫

根拠=「自分はココが凄い!」という気持ちです。

この根拠が積もると、そのうちどんな状況下でも無差別的に発動する自信が生まれます。

この「たくさんの根拠によって生み出された、自分への漠然とした自信がある状態」=自己肯定感が高い、なのです。

自己肯定感が高い人に「なんで高いの?」と聞いても明確な答えは出ないでしょう。なぜなら根拠が「小さい根拠の集合体」だからです。

根拠も実感できないのに「信じろ」というのは思想の強制である。見えないけど目の前にリンゴがあるらしい!いや、あるんだ!!と無理やり信じるのと何も変わらない。それは妄信であり、無根拠の自信なので不安定だろう。

だから増やしましょう、根拠――――手始めに習い事で。

ないのなら、作ってしまえ、ホトトギス。

「私には価値がない」という気持ちの根底にあるのは「私には何もない、能力がない、実績がない」という気持ちである。そういった自分への不信感は「そんなことないよ」と数百回言われても消えることはない。

かといって自分の内側から「私は価値ある存在だ」という気持ちが自然に出てくるのを待つのは白馬に乗った王子様を待つのとさほど変わらない。思春期に女性が初潮に備えるのとは訳が違う。来るかわからないのだから。

それなら自分から行動して、少しずつ「あぁ、私はこんなことが出来る、あんなことも出来る」という小さな実績を増やす方がまだ、自己肯定感を上げられる気がする。

その実績を増やす手段が習い事だ。仕事とか趣味※ではなく、習い事をオススメするのは、習い事ならではメリットがあるからである。

習い事をするメリット

  • ノルマ・締め切り・責任がない。
  • 好きなことで頑張る場所が出来る。
  • 一人でやるよりメリハリがつくので効果が出やすい。悩みを相談できる。
  • 頑張りを認めてくれる人(=先生)がいる。
  • ペルソナ(自分の1面)を増やせる。

※習い事=長期的に行う、先生のいる趣味。

まずは好きなことでプチ実績を積み上げる。

仕事と違い、習い事には責任・ノルマがない。目標を達成出来なくても困るのは自分なので気楽に挑戦できる。締め切りもないので、いつまでもその目標にかじりつくことも出来る。つまり自分のペースで気楽に挑戦できるのだ。

また、当然だが習い事というのは自分で選ぶことが出来る。仕事は自分で内容を選べないし、向いてないなと思っても簡単に変えられるものではない。

だが、好きなことで頑張るのと、好きじゃないことで頑張るのとでは月とスッポンほど辛さに違いがある。好きじゃないことを頑張って結果を出すのはキツい。故に実績を出すジャンルを自分で選べるメリットはデカい

先生=お金で依頼できる”貴方を見る専任の人”

また習い事には「先生」という最高の特典がついてくる。

仕事で貴方を評価する上司や会社は、貴方より仕事が出来るけれど、人を評価する・育てるプロではない。友人やSNSは貴方の些細な変化に気付いて評価するほど、貴方を見ないし暇ではない。

一方、習い事の先生は一般に比べたら人を育てることが上手い。育てるのが下手な先生は食っていけないので、比較的アドバイスが適格だし、かつ生徒の些細な進歩や努力を評価してくれる人が多いのだ。

先生がいるのは一人でやるより継続しやすく、助言を貰えるので上達しやすい。

そう考えると、習い事とは「自分で設定した目標を、どれだけ時間をかけてやってもいい、しかもその道の上級者が自分を気にかけてくれる」という、かなり実績を出しやすい場所だと私は思うのだ。

プチ実績?そんなんで?と思うかもしれないけど

自己肯定感が高い人は何かスゴイ長所があるから自分に自信があるのではない。

恐らく彼らは「わー、ハイハイできたね」「お絵描き上手だね」など、幼い頃からたくさんの小さい実績を認めてもらうことで、自己肯定感を膨らませたのだ。「自己を肯定して貰えた回数」が多いから自己肯定することが自然なのである。残念ながら教育の力はデカい。

大人になると、自分をスゴイ!と褒めるハードルは上がってしまうが、だからといって「もうすべて手遅れ」と諦めて生きるのか?努力ってめんどいけど、諦めて生きるのもしんどくない?

今からでも実績を積み上げていけばいい。そしてそれはちょっとした事でいい。大事なのは自分を高評価する頻度とそのバリエーションだ。

「営業で成績トップ5に入る」という実績はデカいけど実現が難しい。それより「かっこよく回し蹴りできるようになる」とか「ザッハトルテを作れるようになる」みたいな小さい実績は実現させやすい。

ハードルが高すぎない、「これ出来たらかっこいいな」と思える目標を設定して、小さい実績をかき集める。「やるじゃん、私!すごいぞ!」と自分で自分を褒める回数を増やす。

効果が如何ほどかはわからんけど、少なくとも「私は価値ある存在」と半ば無理やり信じるよりは、この方法の方が可能性があると思う。

おまけメリット

習い事をすると自分の一面(ペルソナ)が増えます。

ペルソナとは簡単に言えば「その居場所における自分の役割」です。例えば子供・ママ友・夫との関係において、「ジュン君のママ」という1つの役割でずっと生きていると、

「私は”ジュン君のママ”じゃない……真知子だよ。」

と、その役割に押しつぶされて心理的に窮屈に・息苦しく感じます。息苦しいのは「同じところで息を吸うから」です。場所を変えてみると一気に心が楽になることが少なくありません。

「私は料理教室ではドジっ子の真知子ちゃん」「私は友人間ではしっかり者の真知子」そうやって色んな一面・居場所を持つことで、精神的依存が分配され、結果的にメンタル安定に繋がります。

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