真剣に考えてみた

「上手いけど心に響かない歌」は○○がない。

歌がうまいってなんだろう、、、。

この疑問が浮かんでくるのは大抵、「どうしてこの人が歌うとこんなに心に染み入るのか……」と感動するときと、逆に「この人、上手いけど心に響かないなぁ」と思うときの2場面だ。

「上手いけど心に響かない歌」は音程・リズムを正確に取れているけれど、何かが足りない。

最近、この”何か”の正体は説得力ではないか?と思った。一応、定義を確認しておくと、説得力=相手の心の奥に言葉を届けられる力である。

歌の世界の”外”か”内”か。

思うに、歌手とはその歌の世界を演じる役者に近い。オペラにやミュージカルに限らず、歌とは短い劇なのだ。

感覚的な話で論理的な根拠はないのだけれど、上手いけど心に響かない人、つまり上手いだけの人は歌の世界の外にいるように感じる。歌詞をなぞっているだけで、歌の世界の登場人物ではない感じなのだ。だからどこか歌が他人事なのである。

逆に心に響く歌を歌える人は、歌の世界の中の人になっている。歌の世界と一体化・シンクロしているのだ。彼らは心の底から自分が思っているように、そしてそれを特定の誰かに語るように歌う。

この「話すように歌う」というのは実はめちゃくちゃに難しい。歌の難易度というと、やれ高音がとか、やれリズムが高低差が~とかばかり話題に上がるが、話すように歌う難しさはまた別格である。

この「話すように歌う」の最たる例として『山口百恵のプレイバックPart2』を挙げよう。

この歌の「馬鹿にしないでよ、そっちのせいよ♪」もこれまたアホか!ってほど難しいのだが、(怒鳴りすぎてもダメ・でも迫力は出し……)

私がフォーカスしたいのは「坊や、いったい何を教わってきたの♪」という部分だ。この当時、山口百恵は19歳である。にもかかわらず大の大人に「坊や」と言うのがあまりにも自然すぎるのである。

『絶体絶命』という歌にも「やってられないわ♪」という歌詞があるのだが、これまた山口百恵は本っ当~に「…やってらんないわ」と思っているのがひしひしと伝わる歌いっぷりなのだ。

デカい溜息をついて吐き捨てるように言っている場面が目に浮かび、思わず「お、お疲れ様です、姐さん……」とお冷でも出したくなる。

こういった「やってられないわ♪」や「馬鹿にしないでよ♪」のような歌詞は最早セリフと言っていいだろう。セリフ=本当はあらかじめ決められた言葉を、「いま本当にそう思っていて出てしまった言葉なんだ」と感じさせる要は自然さである。

本当にそう思って歌っているかは分からないが、「そう思わせられる」というのが重要なのだ。ではこの自然さを出せるか否かはどこで差がつくのだろうか?

(そろそろ私は書くこと、というか考えることから逃げ出したくなっている……、けど書けるとこまで頑張る……)

心に響く歌・歌の説得力を左右する要素は・・・

  1. 声質
  2. 味わってきた感情(=人生経験)

声質

役者の世界では「一声、二顔、三姿」という言葉があるが、歌手の場合は「一声、二声、三音程」だと私は思う。

一にも二にも声なのは、正直、声が魅力的なら音が多少外れていても心地よいと思うから。さすがに音程が全外れだと気持ちが悪かろうということで三を音程にしただけで、歌手の魅力の9割は声で決まると私は考えている。

「じゃあ良い声ってなによ?」と思うだろう。「人による」なんてクッソつまらん無難論を書くのは物書きとして最悪なので、「私の思う”良い声”とは何か」を2つの指標で語ろう。

”いい声”=特徴的な声

いい声とは特徴的な声である。

声に限らず、特徴的なものは好みがハッキリ分かれやすい。”良い”・”悪い”とは「普通・一般とは違う」という反応から枝分かれした評価であり、そもそも特徴的でなければ反応されない。

特徴的・個性的な声=良いか悪いか判断されやすい=良い声と評価されうる声なのだ。

特徴が薄い声、個性の薄い声は何色にもそれなりに染まれるが、逆に言えばそれ故にハマり役がないのである。ハマり役の無い声は、「上手いけど、、」になりやすい。どの歌の世界にもある程度なじめるけど、どの歌ともシンクロ100%にはなれない。

王道な”いい声”

とはいえ、この世には”良い声”と評価されやすい、王道な良い声というものがある気がする。

それは息の成分が多い声。聴いた感じ、2~3割くらい息の声だ。

息の成分が多い=囁き声に近い。「囁く」という行為は、相手の凄く近い場所で行う行為である。息が多いことで声の輪郭がソフトになるのも相まって、ウィスパーボイスは身近に・優し気に感じるので人に受け入れられやすいのだろう。耳にも優しいし。

Youtubeで「囁きボイス」なんてものが人気なのも、そういった心理的な癒し効果があるのだろう。

味わってきた感情の数(=人生経験)

演技とは記憶の再現である。そっくり同じ経験をしていなくとも、自分の中にある似た経験・感情を引っ張り出して膨らませたりして、脳内イメージと現実の自分を同一化させること、それが演技である。

当然ながら、様々な感情を味わっている人間の方が演技の質を上げやすいし、引き出しも多い。この感情のデータは自分で経験しなくとも、小説や映画、身近な人からも取ることが出来る。

心に響く歌を歌える人は持っている感情のデータが豊富、もしくは自分が持っている感情を素にして歌を作って歌っているので、歌の世界の人間になりきれる。

私が心に響く歌を歌うために人生経験が重要と強く感じるのは、X-factorやカラオケ☆バトルなどで神童として、小学生があまりに大人びた歌を歌っているのを見たときだ。失礼だがどうしても「上手いけど、歌詞の中身が空っぽな感じ……」と思ってしまう。

子供は歌が上手く歌えないと言っているのではない。ただ世界観に対して、歌声が真っ新すぎる。複雑な感情・葛藤・苦悩を感じない、結果、リアリティがない。

子供の声で大人の内容を歌っているのも違和感の一因ではある。もし刑事ドラマで警部補を子役が演じていたら違和感を感じるだろう。

ただそれを除いても、年齢的に複雑な感情のデータが少ないのではないか?とどうしても思ってしまう。複雑な感情=好きだからこそ憎いとか、素直になれない気持ちとか、自分の中にある情けない気持ちなどだ。

超・圧倒的な歌唱力はすべてを黙らせる。

ここまで散々、歌の世界との一体感がうんぬんと書いてきたが、、、

ぶっちゃけ、Jessie Jのように化け物レベルに歌が上手いと、歌の世界の中に~うんぬんの概念は吹っ飛ぶ。

Jessie Jはイギリスの歌手で、同じく英国の人気アーティストのAdeleに「Jessie Jの歌声は違法」と絶賛されるほどのえげつない歌唱力の持ち主だ。

下の動画はJessie Jがタイタニックの『My heart will go on』の歌唱である。これを聴くたびに私は鳥肌が立つほど感動するのだけれど……

Jessie Jが凄すぎて、歌の世界の中に彼女が入るのではなく、歌の世界が彼女に食われているのだ……!もう04:15以降なんて歌唱力の暴力というか、モーセ宜しく海も割れるよ…と思ってしまう。

Jessie Jのタイタニックワールドではラストはこうだ。一度は沈みかけたタイタニック号……しかしJessie Jの凄まじくパワフルな歌唱によって船は海中から引き上げられ、超奇跡的に乗客はみな助かり、金色に輝く朝日が氷山と船の先端で笑うJessie Jの白い歯を照らす……すごい、超ハッピーエンドだ、全然原作とちゃう。

最後に

まぁ散々書いたけど、自分のお気に召さない歌手だから「心に刺さらん」と思ってるだけかもしれないんですよね。

でも先にも書いたけど「歌の良し悪し・心に刺さるかどうかなんて聴く人によります」なんて内容なら何も言ってないのと同じだしね。

1見解として、ネットの海に流しましょうって訳です。

最後に、筆者が「心に響くなぁ~、コレはこの人じゃなきゃダメよ」としみじみ思う、筆者イチオシの絶妙なワンフレーズを紹介しよう。

宇多田ヒカル 『桜流し』

この歌のAメロの「綺麗だった♪」(0:55あたり)。

この「綺麗だった♪」を聴くと、「本当に脳裏に焼き付くほど、もう絶句するほど美しかったんだろうなぁ……」と思う。

カレン・カーペンターズもそうなのだけど、この世には声に哀しみが染み込んでいる歌手というのがおり、宇多田ヒカルもその内の一人だ。彼女の哀しい・切ない歌へのシンクロ率はすごい。

その分、楽しげな歌でも声に哀しみが帯びてしまう。インタビューで本人も「思いっきり明るい楽しい歌は歌いづらい。どうしても哀しい感じになってしまう」と言っていた。

尾崎豊 『卒業』

「人は誰も縛られたか弱き子羊ならば、先生あなたはか弱き大人の代弁者なのか♪」(06:11あたり)

この歌はサビで「夜の校舎、窓ガラス壊して周った♪」とか歌っているので、つい粗野で我儘で幼稚な青年を思い浮かべてしまうが、実はこんな真似をしても無駄で、自分たちが人間である限りは面倒な縛り事(=慣習・ルール)から逃げられない、そしてそれは誰にぶつけることもできない事だと悟っている頭のいい悲愴な青年なのである。

そのやり場のない怒り・悲しみが彼の中で暴発しているような歌唱。1曲歌うのにこんな生命のパワーを注いでいたら身が持たないよ、と思う。

加藤登紀子 『時には昔の話を』

この歌こそ「話すように歌う」の頂点かもしれない。

特に「あったね」「そうだね」「君だね」といった相手へ同意を求めるフレーズが自然すぎる。特定の「君」がハッッキリ脳内でイメージ出来ているんだろうなぁ……と感じさせる歌唱。

よく記事を書くときはペルソナを具体的に設定した方が「これは自分のことだ!」と一部の読者に深くぶっ刺さると言われるが、歌も同じなのかもしれない。

Sia 『Chandelier』

サビの「I’m gonna fly like a bird through the night
Feel my tears as they dry♪」(01:06~あたり)

《和訳:鳥のように夜空を飛んで、涙が乾いていくのを感じる》

もうなんつーか、歌詞とかセリフも超えて、叫び??

この歌はSiaがアル中・鬱病により自殺も考えるほど苦しんでいた時期に書いたもので、その時期は他のアーティストへの楽曲提供に専念していたが「この歌は自分で歌わなければ」と思ったらしい。

確かにこの歌はSiaでないと説得力が7割減。このSiaの酒やけしたようなエッジの利いた声で狂い叫ぶような歌い方じゃないと、ぬるいのである。

Siaの「やさぐれた声」だからこそ、自暴自棄になって「もう死んでやろうかな??」となりそうなのを、酒で紛らわしてなんとかそっちを見ないようにしている、この歌の泥臭い生命力の輝きが表現できるのだ。

どの曲も最高にオススメなので、ぜひ歌詞を見ながらどうぞ♪

執筆者:山猫

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