習い事をするメリットの1つに「習うこと」を習える点がある。
これは大人ほど必要なことだと私は思うのだ。だって、大人になるほど誰かが辛抱強く教えてくれる機会は減ってしまうから。
素直じゃない人、いくら教えてもなかなか伸びない人、なんかコミュニケーションに違和感がある人、、、
成人した他人に難点があっても、わざわざ叱る人はそういないし、辛抱強く付き合う人間もいない。表向きはニコニコ微笑んで対応されていたとしても、こういった人は水面下で見切られてしまう。
習得するまで必死に教えてくれる人がいなくなる分、重要になるのが「習う力」なのである。
習う力、その正体は観察力+コミュニケーション能力であり、私は生徒力と呼んでいるのだが、この生徒力は鍛えれば鍛えるほど、収集できる情報の量・質が増え、周囲から助けてもらえやすい人になる、まさに「コスパ最強の生きるスキル」なのである。
少なくとも私は、この生徒力を向上させるたびに劇的に生きやすくなった。
生徒力は、なにも意識せずに行動すると「可愛げがない」「常識がない」と言われ嫌われてしまう私が、周囲に嫌われずに上手く生きていくために試行錯誤して習慣化させたことなのだけれど、あまりにも効果絶大なので布教したくてこの記事を書くことにした。
- 飲み込みを早くしたい
- 目上の人に可愛がられたい
- ほかの生徒(部下)より目をかけてもらいたい
そんな人はぜひ読んでみて欲しい。
私が考える生徒力は次の5つ。
- お手本を観察して真似をする力
- 自分を省みる力
- 人に聞く・人を頼る力
- アドバイス通りに1度やってみる力
- 助けてくれた人に感謝の気持ちを伝える力
生徒力とは・・・
➀お手本を観察して、真似をする力
物事において、”出来ない理由”のほとんどは、お手本とのズレである。余程のスペック差があるとかでない場合、そのズレをチューニング※していけば大抵のことは出来るようになる。
※チューニング……同調・調整・調律させること。
チューニングの仕方は至極シンプルだ。お手本を細部まで観察して、隅々まで真似をするのである。この作業を細かくやればやるほど、お手本そっくりになる。
例えばスポーツを習うとき、なんとなく、それっぽく真似をするのではなく、
- お手本の人のつま先は何時の方向を向いているのか
- 膝は何度くらい曲げているのか
- 踵は浮いているのか
…などを目を凝らしてチェックして、自分の体をその通りに配置する。
このようにお手本の構成要素を細分化→配置を上から下まで行うと、初心者でも綺麗なフォームを身に着けることが出来る。
この訓練、初めは難しいし面倒くさいけれど、精度があがるほど何事においても上達のスピードが倍速になるので、鍛える価値はエベレスト級に高い。
「学ぶ」の語源は「真似ぶ(まねぶ)」という話は有名ですよね。
「分かる」の語源は「分ける」です。パッと見はわからなくても、細かく分ければ解るようになります。
(「解く(ほどく・とく)」も固まっているものをバラバラにする、緩めて分け離す、といった意味ですしね。
②自分を省みる力。
間違え探しが1枚の絵では出来ないのと同じように、お手本だけを見てズレを直すことは出来ない。現状把握は問題解決の初手である。
また、作業の成功率を上げるために内省力は必須だ。上手くできた時と出来なかったときを比較して、どんな違いがあるのか考えてみる。そうすると目に見える情報だけではない、意識の問題・環境の問題が見えてくる。
例:「上手くキック出来るときって、身体から力が抜けていてムチみたいな感じだなぁ」 → 目に見えないコツを発見できる。
また、自分の性格を把握しておくことは、いらぬ失敗の防御策になる。
例:「お腹が空くとイライラして、判断を間違えがちだから気を付けよう」
『相手を知り、己を知れば百戦危うからず』だ。
③人に聞く・人を頼る力。
さて、➀②を実践しても出来ないとき、または➀②の手間を省略したいときの必殺ショートカットが「人に聞く」である。
人に質問をする能力とは、Google検索のキーワード選定より高度な能力だ。Googleは「回し蹴り・コツ」とぶっきらぼうに聞いても、持ってけドロボーと言わんばかりの情報をくれるが、人にこんな聞き方をしたら失礼以外の何物でもない。「母さん、めし」とだけ言う亭主はだいたい定年で捨てられる。
私の場合、人に質問をするときに意識していることは主に下3つだ。
- 相手の状況確認、手が離せない状況ではないか?
- 「すみません、教えてください」という姿勢をわかりやすく表現して伝える。
- どこまでは分かって、どこから分からないのか自分で把握→説明のために言語化。
②が出来ていない例は「ここが分からないんですけど……」という聞き方。この聞き方が絶対にNGという訳ではないが、「分からないんですけど……」という聞き方は相手にぶん投げている感があり、やや無礼である(と、私は思う)。
「けど……」なんだよ??と、ちょ~~っと思う。
「教えて下さい」「教えて頂いても宜しいでしょうか?」
かな~り細かい事を言っている自覚はあるが、この一言がサッと出てくる人の方が見ていて気持ちがいいし、これが素直さに直結していると思う。教える側としても、この聞き方の方がより親切に教える気になるだろう。
「自分は何がわからないのか」を説明する力
③が出来ていない状態=「何が分からないか、分からない子」は、教える側にとって一番大変だ。「何から教えるべきか」がわからないからである。
もし友人から電話で「助けて、道に迷った。いまどこにいるかも分からない」と言われても困るだろう。せめて現在地を絞って貰わないと説明しようがない。聞かれた人間が迷子を捜すしかなくなる。
ところが、「自分が何を理解できていないのか」を人に説明するのは実はかなり難しい。なぜなら、人が「わからない」と思っているときは大抵、与えられた情報が頭の中をふよふよ漂っているだけで、情報が並んでいない状態だからだ。
そういうときは、脳内に漂う情報のピースを手当たり次第に相手に投げつけるような説明になりやすい。当然、支離滅裂な説明なので相手はなかなか状況を把握できず、教える側を困らせている無力な自分に焦りが募り、さらにパニックになる。
「わからない……」という一種のパニック時の対応は、場数を踏んで鍛えるしかない。
- 自分は何がしたいのか?何を知りたいのか?(=目的地)
- まず何から(作業or思考を)始めたのか?(=スタート地点)
- その後、なにをして、どこで止まってしまったのか?(=通った道と止まったところ)
このように落ち着いて考えて、脳内の現在地(=ここまではわかる)を特定して相手に質問しよう。
余談:わからないとき聞かない奴は怖い。
聞く力だけでなく、頼る力とも書いたのは、迷惑かな?と過度に恐がらず「助けて・教えて」と言えるマインドが大事だと思ったからだ。
確かに、「なんでも聞いてね」と口では言いつつ、聞いたら聞いたで「さっき説明したよね?」などと言う人も一定数いるのは事実である。
しかし多くの上司は「頼むから聞いてくれ、わかってるフリだけはやめて」と思っている。「わかってなくても聞かない・わかってると言い張るヤツ」ほど恐ろしい部下はない。
たとえ相手が目下の人間だとしても、人は「おまえ、ホントはわかってないだろう!?」とは聞きにくい。
そうなると、「”わからない”と言わない生徒・部下」がいると、指南役はその人が致命的なミスをしないように常に見張らなければならなくなる。困ったちゃんの完成である。
質問力とは「いい質問をする」ことだけでなく、質問をする勇気も指す。恐怖は慣れによって薄まるので、習い事などで質問をする習慣をつければ、とっつきづらい上司にも言えるようになるのではないだろうか?
④アドバイス通りに、1度やってみる力。
アドバイスは貰ったら実践するまでがワンセットである。ここで大事なのが
腑に落ちなくても、とりあえず1回、言われた通りにやってみること。
腑に落ちたアドバイスをやる人は多いが、鍛えるべきは腑に落ちないアドバイスでも実際にやってみるマインドだ。
言われたときは「え?それだと▽▽なのでは?」と思ったりするが、やってみたら意外と出来た、ということは少なくない。
第一、貰ったアドバイスを使わずに隅に置くのは教える側に失礼である。せっかく教えても実践しない生徒には「どーせ言っても無駄」認定されて、向こうの指導心は離れていく。
1回こっきりの事柄でなければ、「……納得できんが、まぁ、1回やってみるか」というスタンスでやってよう。
ちなみに、どうしても出来ない・腑に落ちない場合は、「ちょっとイマイチ理解しきれてなくて……」「以前頂いたアドバイスとごっちゃになってて……」など、自分が間違っている前提で聞く。
「以前は~と言ったじゃないか!」というニュアンスは絶っっ対に出さないこと。
この聞き方を間違えると、口答えする面倒なヤツ認定される。一発アウトな行為。
⑤助けてくれた人に感謝の気持ちを伝える力。
ものすごく簡単に言えば「ありがとう」を伝える力である。
「なんかして貰ったらありがとうと言うなんて、当たり前だしやってますけど」と思うだろうけれど、私がオススメしているのは「ホントに感謝してるのが伝わりそうな、ありがとう」だ。
なんだそりゃ?と思うかもしれないが、具体例を挙げると下記のような言い方である。
- 「○○さんのお陰で無事に▽▽出来ました!本当にありがとうございました!」
- 「先生は本当に説明が上手ですね、スッと理解できます」
- (ジムのスタッフさんなどに)「いつも綺麗に掃除して頂いてありがとうございます。お陰で気持ちよく練習出来ます」
※注※ 思ってもないことは言わない。乱発しない。
文字にしてみると嘘くさく感じるかも知れないが、サラッと言うとそんなことはない。言われた側も「本当~?!そう言ってもらえると嬉しいよ~」とホクホクするし、お世辞じゃなく人を褒めたとき、相手に喜んでもらえると自分の心の治安も良くなる(気がする)。
さすがに毎度やると不自然だが、こういった言葉がスルっと出る生徒の方が可愛いので気にかけてもらいやすいし、その後の質問にも親切に答えてくれる可能性が上がるのは間違いない。
実際、私はカフェでバイトしていた頃に
「Aさんに言われた通りにやったら、すごい綺麗にミルク作れました!あのアドバイス最強です、ありがとうございます~♪」
と伝えたところ、Aさんが以前より1.4倍ほど優しくなりました。
よくも悪くも「ありがとうを言うのは当たり前」なので、ただの「ありがとうございます」は正直、あまり存在感がない。言わないと超マイナス、言って0になるくらい。
助けてもらいやすいのは美人でも金持ちでもない。”助けてよかったな”と助けた側に思わせられる人だ。つまりプラスで終わる「ありがとう」を伝えられる人である。
ノーマルありがとうに少しトッピングするだけなので、そんな難しく考えず「助かったぁ~、ありがたや~」としみじみ思う機会に言ってみよう。
コツは
- とにかく具体的に出来るようになったことを言う
- 出来れば後日に改めて言う
※嘘(思ってもない事)を言うと、バレたとき「ゴマすりか…」と信用ガタ落ちなのでやめましょう。
ちなみに、人間は「認知的不協和」という心理により、自分が助けた人に対して好感度が上がります。
「助けたってことは、私はこの人を好きなんだな」と脳が判断しちゃうんですね。
手のかかる子ほど可愛いは理にかなってるワケです。あんまり面倒なことを頼むと嫌がられるでしょうけど。
つーわけで習い事しようぜ。
生徒力を鍛えるほど、収集できる情報の量・質が増え、周囲から助けてもらえやすい人になる。生徒力はスキルも好感度も上げられる、最強のコミュニケーション能力といえよう。
そう冒頭にも書いたが、これは決して大袈裟に言っていない。
時間的に、経済的に厳しい人も多いかもしれないが、もし一つでも興味のある習い事があるならやってみることを激推しする。
「何やればいいの?」と思った場合は
- これ出来たらカッコいいなと思える
- 習得したら生活の経費が減る
- 苦痛でない程度に体を動かすもの
- 憧れの人がやってたこと
などを考えてみてはどうか。
「習得したら経費が減る」とは、たとえば毎月ネイルに7,000円払っていたけど、セルフでできるようにジェルネイルを習ってみる、など。
いくつか教室を回ってみてもいい。合わなかったら辞めればいい。別にずっと続ける必要はなく「これだけ出来るようになりたいな」というミーハーな気持ちから始めればいいと思う。「すぐやめるなんて情けない」と悩む人は、6回講座!みたいなコマが決まっているのを受けるとか。
なんにせよ話のタネくらいにはなる。
仕事と離れた脳みその領域を使う活動の方が息抜きになるので、語学みたいな勉強チックなのよりも、スポーツ・楽器・ものづくり等の感覚的な活動がオススメだ。
おまけ:仕事じゃだめなの?と思った人へ
ここまで読んで、
「その生徒力って仕事でも身につけられるのでは?わざわざ習い事せんでも…」
と、思った人もいるのでは?
確かに、上司は一種の先生なので、わざわざ習い事をしなくてもいいような気もしなくはない。
しかし習い事の先生と違って、上司は自分で選べないし、人を育てることに全集中できる人ではない。彼らは自分の仕事もしつつ後輩を育てるので、余裕がなければ口調はキツくなりがちだし、仕事には責任が伴うので失敗にも厳しい。
一方、基本的に習い事の先生は人を育てるのが上手い。もちろん個人差はあれど、生徒からの質問を喜ぶ人は多いし、出来ないときはなぐさめ、出来たら褒めてくれる。
面倒見がいい人が多いというのもあるが、続ける責任がない習い事において、育てるのが下手な先生は食っていけないからだ。
仕事で生徒力を鍛えるのはもちろん素晴らしいことだが、習い事の方が寛容な世界で鍛えられるので気軽に取り組める。
また、仕事、家、友人関係、恋愛、など多数の居場所があったほうが、精神的依存度が分散されるメリットもある。
自己肯定感を上げるためにも習い事はオススメなので、よければ↓の記事も読んでみてくださいまし。それでは〜
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