会うのは年に数回、会っても3~7時間食っちゃべるだけ。そんな、恋愛に発展しそうな雰囲気がカサカサに乾いた男友達が4人ほどいる。
選び抜いて関係を築いた彼らは私にとって非常に大事な存在なので、今日まで誰一人として恋愛に発展しなかった幸運に感謝している。
無遠慮に触らず、デートスポットっぽい場所には行かず、ただお茶を飲んだり電話したりという交流でも、私の顔が橋本環奈だったらこうはいかなかっただろう。
だから、男友達と気楽にフラットに接するたびに「あぁ、美人じゃなくてよかった~」としみじみ思う。
そんな美人という要素をデメリットに加算するほど男友達が大好きな私だが、実は18歳までは学年でも有名な男嫌いだった。
当時、「なんでそんな男嫌いなの?」とよく聞かれたけれど、男を嫌う理由をまともに説明できたことは多分ほとんど無かった。
なぜなら男を毛嫌いする理由を本当は持っていなかったからである。私の男嫌いは周囲の女子へ「男キライなんだ」と言い張っているうちに発症した自己催眠だったのだ。
なぜそんな自己催眠にかかる羽目になったのか。
イケメンに「フッ、おもしれー女」と思われる悲劇
少女漫画の王道展開に、ヒロインが学年1のイケメンに「調子乗ってんじゃないわよ!」的な一撃を浴びせた結果、学年1のイケメンが「フッ、おもしれー女」とそのヒロインに興味を持ち、次第にその健気な様に惹かれていく、というのがある。
食パンをくわえて登校中に角でイケメンにぶつかる展開の500倍は目撃される、超あるあるの展開なのだが、当事者として証言するとイケメンに「フッ、おもしれー女」と思われるのはデメリットがデカすぎる。
イケメン(というかクラスカースト上位層男子)に「おもしれー女」と認識されると、よく絡まれるようになる。具体的に言うと意味不明なイジリをされるようになる。彼らは自分一人で笑いを生み出せないとき、積極的に人をつついて、その反応でウケを取るのだ。
こういった人を私はピンポンダッシュ野郎と呼んでいる。
普通の男子は「キモイ・ウザいと思われるかな?」というセンサーが正常に働いてこんなことはしてこないのだが、女子に人気のあるクラスカースト上位の男子は屈託のない笑顔でこれをやる。
そして不運なことに、私は彼らによく目を付けられるタイプだった。友人いわく「いじると面白い人だからじゃん?」だそうである。正直、イジリ自体は可愛いものなのだけれど(ウザいが)、問題はそれを見ている他の女子である。
「まぁ○○君が山猫(=筆者)を好きとか”絶対”あり得ないのはわかってるけど、なんにせよ構われててむかつく。」という気持ちが無意識的に降り積もったのだろう。
イケメンが私を好いているなどということは絶対にありえない……というか”あってはならない”ので、「不釣り合いなのよ!!」などとは言われない。だってイケメン君が私を好きなんてありえないから。
言われないが……
彼女たちは私にこう言うようになった。
「よかったね、山猫!○○に構ってもらえて。さっき、すごい嬉しそうだったじゃん(笑)」
???
そう、なぜか私が向こうに惚れている前提で話しかけてくるのである。
なぜ?!構ってきてるのは向こうなのに、なぜ私が奴を好きってことになってるの????
これがクラス内における身分差なの??
王子がやらかした不祥事は、下々の私が罪を被る的な???
こうなると、もう何を言っても「やだ~、本気で否定しちゃって余計怪しいゾ☆」とか「照れなくていいのに~笑。バレバレだよ~」と言われる蟻地獄である。
これでまだ伝説(=学年一のイケメンに惚れられる)が本当なら、素敵な青春メモリーを刻めるということででトントンだったかもしれないが、あれはあくまで伝説である。断言するが「おもしれー女」がそれより上に出世することはない。
そもそも、こちらに対してどうでもいいと思ってるから向こうは無邪気によくわからん絡みを仕掛けてこれるのだ。(男は好きな女には慎重になる人が多い。)
そう考えると、イケメンのイジられ役になるのは、彼のパフォーマンス披露のためのボールになっているのに近い。イケメン本人はそんなヒドイことを考えて絡んではいないだろうが、なんにせよイケメンに「おもしれー女」認定されるのは、上記の内容を理解して勘違いしない、というナゾの心労を割くこともあり苛酷なのである。
※ちなみに「男は好きな子をいじめる」という定説があるが、あれは小学校低学年までだと思う。高学年以降は、照れから態度がつっけんどんになることはあれど、意味不明な絡みをする男は少ない。
はっきりとは覚えていないが悩んだ末に出した案なのだろう。その頃から私は「私、男キライなんだ!」と言うようになった。
中学に上がり、気恥ずかしさも相まって「男キライなんだ」アピールはより強力になっていた。
ところが皮肉なことに、この「男キライですから」を前面に押し出している私はそれはそれでピンポンダッシュにうってつけの存在だったらしく、クラスに1人はやたら絡んでくる男子が現れた。
ピンポンダッシュ野郎はどれだけ「ウザい!」と言われてもなかなか懲りないし、ヒマな中学生は人をいじるのが好きなので、私がどれほど冷やかされるのがイヤだと言っても火に油だった。
「放っておいてほしい……」
その切な願いが木っ端微塵にされ続けた結果、中学卒業後に私は携帯から家族と行きつけのお店以外の連絡先を全て消して、男女かかわらず”同世代”と関わらない高校生になった。
よく考えたら、嫌う理由がないことに気が付いた
高校入学時、私は固く心に決めていた。
「疲れた。だから高校では絶対に友達を作らない」
そして本当に友達を作らなかった。いつも一人で行動し、話しかけてきても「私は結構ですんで~」とフェードアウトした。
そうして高校生活を一人で平和に過ごして数年たち、ある日ふと気づいた。近くの席の男子が消しゴムを拾ってくれたり、「落としたよ」とすれ違い様に教えてくれたりしたとき思ったのだ。
「男子って基本的に親切だな??いつも1人で行動してる超不愛想な私にすら親切だし、、、あれ?そもそもなんで私は男キライなんだっけ?」
「……あ、男キライって言ってただけだ」
呪いが解けたような気持ちだった。自分の中にあった嫌悪感がこんな炭酸の泡が一気に抜けるように消えるなんて……とビックリしたものである。
と同時に、自称するうちに本当にそう思っていたと思うとゾッとした。しかも私は「男キライかも~」みたいな薄っすらした男嫌いではなく、「男なんて単細胞生物!無価値!」などと言うほど過激派だった。
ヘイトってこうやって生まれるのかもなと思った。
(そしてそれだけ、自己催眠にかかってしまうほど、当時の私にとって冷やかしはトラウマだったのだろうなと思った。)
以前、ホンマでっかTVという番組で学者の先生が「人間は1000回そういわれ続けると、真実だと思うようになる」と言っていた。きっと、1000回もその言葉に触れるうちに、接触回数の多さでその言葉に違和感を感じなくなるのだと思う。
「言霊」という言葉も、人間にそういう部分があるから生まれたのだろう。
くわばら、くわばら……。
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