ものすご~く魅力的な楽曲を作る反面、それを歌おうとすると歌い手の自信を消失させる、なんとも罪作りな歌手がいる。
その名も宇多田ヒカル。彼女の楽曲の歌唱は本人のみに許されているといってもいいほど難しく、エヴァのプラグスーツの試着並みに挑戦のハードルが高い。「わぁ~、気持ちよさそうに歌ってていいなぁ、どれ」と、軽い気持ちでマイクを持って数十秒後、ほとんどの人はゼェハァと息を切らし、自分の歌えなさに呆然とするのだ。
かく言う私も、小学6年生のとき、上記の絶望を味わった。
友人の家にあったカラオケ機で宇多田ヒカルのFlavor of lifeを歌おうとしたのだが、Aメロの低音は出ないわ、Bメロの抑揚は上手く付けられないわ、サビの絶妙な切なさは全く表現できないわで、「頑張ってるのはわかるけど聞き苦しい」という散々な結果だったのだ。
今なら、Flavor of lifeは宇多田ヒカルの歌の中でもトップ5に入るほど難しい楽曲なので、そう簡単に歌いこなせるものではないと納得できるものの、当時の私はまだ宇多田ヒカルのファンではなく、ただ「花より男子で有名な良い曲だよね~、歌ってみよっと♪」くらいの気持ちだった。それ故、このときの屈辱と衝撃は、小さいころから歌の上手さには自信があった私には忘れがたいものとなった。
その後、中学生になり宇多田ヒカルにドハマりし、高校へ進学した際、ついに私はボーカルスクールに通うことを決めた。
宇多田ヒカルを歌いこなせるようになる、ただそれだけのために。
本記事では、そんな「歌が得意な人間として生きてきたのに、宇多田ヒカルのFlavor of lifeに手も足も出なかった」という謎の挫折を経て、それを歌えるようになるべく、3年ボーカルスクールに通った経歴を持つ私が、宇多田ヒカルの楽曲がいかに歌い手泣かせか語ろうと思う。
分析した結果、彼女の歌の難しさは5つの要因があると考えた。
➀宇多田ヒカルの音域、上にも下にも広すぎて、キー調節しても立ち向かえない問題。
「キーが高すぎるなら下げてもいいよ♫」と本人よりお優しい御言葉を我々は頂戴しているものの、言われた一般ピーポーとしては「お気遣いありがとう。でも下げると下が出なくなるんですわ」である。
たとえばWait&Seeは、キーを下げたらAメロの「つまづきながらって口で言うほど、楽じゃないはずでしょ♪」の低音がキツくなるので結局そんなポンポンと下げられない。まさに前門に虎、後門に狼。
♪キーが高すぎるなら下げてもいいよ♪
♪歌は変わらない強さ、持ってる♪(Wait&See)
確かに、歌は変わらない強さを持っている……我々一般ピーポーを易々と近づけさせないという強さはキーを落としても健在だ。
高音域に注目されがちだけど、低音域こそが関門。
音域が広い歌手は他にも多数いるんですよ、でも大抵は「高い方にめっちゃ広い」人が多いイメージなんですよね、西野カナ・浜崎あゆみ・LiSAとか。
ところが宇多田ヒカルは、低い方にも、バカ広いんですね、歌ってて憎たらしくなるくらい音域が広い。たまに「ここは福山雅治のパートだっけか?」ってくらいの低音あるし。
例えばFlavor of lifeのAメロは彼女の歌の中でもトップクラスに低いのだが、
■Flavor of lifeも音域がかなり違いますもんね。
「レコーディングのときにピアニストの人に”ここのフレーズ、随分低いよね”とか言われて。でも全然出る音域なんで。それこそTLCとかマライア・キャリーに合わせて一緒に歌ってたから、いろんな音域で歌うのに慣れちゃって、自分で曲作っていても、自然とそういうのを書いちゃうんです。」
J-pop列伝 音楽の中に君がいる P223、宇多田ヒカル本人の発言より引用。
↑のインタビューで言っている内容は、↓のインタビューと同じ部分と思われる。(つまり”ここのフレーズ”=Aメロ。)
動画の0:43~1:01あたり。
—収録の時、ピアノの人に会って、プレーバックを聴いてる時にその人と話してたのね。その時に「ここ(Aメロ)、めちゃくちゃ低くない?」「あっ…はい。そうです」って。みんなカラオケで歌うとき大変そうだよね。女の子とか。テレビで全部歌えたら100万円とかいうのを見てたら、女の子が…誰だっけ?あっ!大沢あかねちゃんだ。彼女が歌ってたんだ。そしたらやっぱりツラそうで。出ないのかって—
CDでーた 2008年4月号のインタビュー、本人の発言より引用。
そうだぞ、宇多田。普通はあんな低い音域で歌えないんだぞ。
だってアレ、福山雅治の「家族になろうよ」を原キーで歌うよりキツイもの。特に「友達でも恋人でもない中間地点で♪収穫の日を夢見てる♪」の太字部分は雅治より低い。家族になれない低さ。
そして当然、上にも音域が(アホみたく)広い。
私が「この高音きっつ」と思ったのを、ざっと挙げると・・・
高音がいじめなヤツ一覧
- This is love「予期せぬ愛に自由奪われたいね」
- BLUE「どんなに辛いときでさえ、歌うのはなぜ?」
- SAKURAドロップス「恋をして、終わりを告げ~これが最後のHeart break」
- Movin’ on without you 「フザけたアリバイ、知らないふりは~こんな思い出ばっかりの」
- Addicted to you「だけどそれじゃ苦しくて、毎日会いたくて」
- COLORS「青い空が見えぬなら青い傘広げて」
- Prisoner of love「退屈な毎日が急に輝きだした」
- 光」:「どんなときだってたった一人で~突然の光の中、目が覚める、真夜中に」
- 道:「私の心の中にあなたがいる、いついかなる時も」
上記の宇多田ヒカル高音部分、、、本人はミックスボイス※で歌っているのか、地声で出してるのか、どっちなのか。本人か専門家に聞きたい。
ミックスボイス=地声と裏声の中間、または二つを混ぜた声。私のイメージだと裏声を強く響かせて地声に近づけている声、というイメージ……だが、ボイストレーニング界でも正確な定義は定まっていないため、詳細は不明。
私の場合、高音域は裏声寄りのミックスボイスで誤魔化して歌っている。地声に似せて強く出しても裏声は裏声なので、迫力に欠けるのが個人的な不満点。
ライブ(Laughter in the dark)で生歌を聴いてみたが、多分いまの宇多田の高音の歌い方は裏声寄りのミックスだと思われる。(息の混ざった感じ・声の伸び・張りからなんとなくそう感じる。)
ただyoutubeなどで、昔のテレビでの歌唱を聞くと、裏声寄りのミックスにしてはあまりにも強く張りのある声なので、どうやって出しているのか本当にナゾ。
本人が述べる、宇多田ヒカル楽曲の音域が狂っている理由
「—好きな歌手、たとえばフレディ・マーキュリーとかマイケル・ジャクソン・シャーデー、いろんな人がいるけど、だいたい声の使い方が自由自在でかっこいいんですよ。1個の声だけで歌ってるんじゃなくて、高音・低音・息の加減・キリキリした声か柔らかい声かとか、その辺が凄く柔軟で。——あと中学生のころにTLCに凄いハマったんですよ。—今でも大好きなんですけど、TLCって3人組じゃないですか。一人が低音でクールに歌って、一人は熱唱して、一人はラップみたいな。ああいう感じの曲をやりたいなと思うと、結果的に私は一人で3人分やっちゃう。だから凄い低音があったり、高音があったりってなるんですよ。」
J-pop列伝 音楽の中に君がいる P222、宇多田ヒカル本人の発言より引用。
つまり、宇多田ヒカルの歌を歌いこなそうとするばらば、こちらも多人数分の歌い方の引き出しが必要ということである。
やはり素人に歌わせる気がない。指をくわえて聴いてろ、ということだろうか。ずるい、ずるいぞ、宇多田。
ちなみに、このインタビューが載ってる本、いろんなアーティストのインタビューの合体本なので、300ページのうち、宇多田ヒカルのインタビューはわずか10P程度しかないのだが、内容が物凄く濃密なので買って損はないと私は思う。
②リズム・韻の踏み・グルーヴ感。出来ると超カッコイイけど、複雑でムズすぎる。
最初に言うと、この「リズム・韻・グルーヴ感」の難易度は曲による。
シンプルでまぁまぁ歌いやすい歌もあれば、「ナニコレ??何度やっても本人みたく歌えない……どゆこと」と混乱する無茶苦茶むずい歌に2極化しているイメージだ。
この章では、特に私が「ムズすぎだろ!殺す気か!!」と憤慨した歌である「誓い」と「Forevermore」を参考に、如何に宇多田が難易度が鬼畜な歌を創作しているか語ろうと思う。
誓い
「誓い」の一部が『KINDOM HEARTS Ⅲ』のトレーラーで公開された時、「リズムの取り方がわからない」「どういう拍子なのか理解が出来ない」という反応が多かったんです。私自身はすごい単純で心地の良い6/8拍子のつもりだったんで、それは予想外の反応でした。それであらためて、すごくスウィングを付けていることや、そこに細かく刻んだハイハットがさらにノリを複雑化させていることや、ドラムとピアノが溜めたり、突っ込んだりしていることが自分にとっては普通でしたが、実は独特なノリで、誰にでも感じられるものではないんだと気づかされて。ドラムがクリスじゃなかったら、この曲は成立しなかったかもなあって思いました。
うたマガ VOL.7 初恋 より引用
上記のインタビューで取り上げているのは曲全体に流れる独特な6/8拍子について。もちろん、この独特な拍子に上手く乗るのも難しいのだが、それよりこの曲は、歌詞の文字を音の上に正確に載せるのが本当に難しかった。
運命、なんて知らなーい~けど、♪
この際、存在を認めざーる~を得な~い~♪
運命やこの際は4つの音を1個1個つよく出し、存在の「ん」「い」で韻を踏み、認めはササっと素早くクールに歌い、ざ~る~で安定して伸びやかに歌う。
今を生きることを祝おうよ♪
たまに堪えられなくなる涙に、これと言って深い意味はない…
あぁ、泣きたい♪→開かれたドアから…♪
選択肢なんてもうとっくにない♪
(ドラムのダン!&Ahーというコーラス)
今日という日は~♪
祝おうよのあとに間髪入れず入ってくる、ラップ調のたまに堪え~♪の入りもむずいし、伴奏で流れている例の独特拍子のピアノに惑わされず、ラップ調歌詞の文字を等間隔に置いて歌う。
で、、あぁ、泣きたいを感情こめて歌った直後、また間髪入れず入る開かれたドア~♪へ正確に入り、選択肢なんて~のあとはラップ調を終えて、元の独特リズムの今日という日は~♪
…ムズイよ!!忙しすぎるよ!酸欠になるよ!
ホント憎たらしくなるくらいこの曲ムズイんだけど、、、かっこいいのよ。
Forevermore
この曲はメロディもまた、アホむずなんですけど、サビのリズムが超むずい。
上記の動画の0分55秒あたりを聴いてほしい。
この歌、サビ直前~サビの伴奏が地味なつくりで、メロディを掴む足掛かりになりにくいのである。
一度この動画に合わせて歌ってみてほしい。よっっぽど原曲を聴きこんでいて、メロディラインとリズムを把握していないと「あれ?ん?」と困惑して止まってしまうと予想する。
サビ直前:裏切られても変わらない♪
サビ:愛してる、愛してる、薄情者な私の胸を♪
変わらない → 愛してるの直後、間髪入れず「あい」の入りを正確に掴む。
薄情者な私の胸を~ → 伴奏に惑わされず、記憶にある通りの速さで歌う。
相当に聞きこんでテンポ・メロディを身体に覚えさせないと歌えない。しかもテンポやメロディがズレると一気にダサくなる。
おうちでカラオケにForevermoreを選定した人は、割とサディストなのではないかと疑ってます。
「ぼくはくま」とかにしとけや、そこは。
韻の踏み・グルーヴ感
宇多田ヒカルの「あなた」は、サビで「ai」の音で韻を踏んでいるのは有名であるが、このaiを始めとした韻踏みと絶妙な溜めによって、生き生きとした肉体的な躍動感がありつつも、大きなまとまりを持って流れるような音楽全体のうねり(波・スウィング感=グルーヴ感)が生み出されている。
あーなたーいがーい、なんにーもいーらなーいai
たいがーいのもーんだーい、はとる、にた、らなーいよ→
o→おおくはーのぞーまなーい、かみさーまおーねがーいai
かわりーばえーしなーい、あした、をく、ださい
aiで韻を踏む、というより、ー(伸ばし棒)の直前の文字を押し出すように歌うことで韻を踏み、黄色の部分を区切ることで音楽にメリハリをつける。緑の部分は、yo→ookuwaと、oの音を繋げて歌うことでうねりを復活させる。
この韻の踏みと区切りによって、聴いてて踊りだしたくなるような、すんばらしい躍動感、すなわちグルーヴ感が生み出されているのだ。
グルーヴ感とは
演奏する中で生まれる、ちょっとした溜め・ズレ・ブレからもたらされる、音楽全体の心地良いうねり。踊りだしたくなるような、躍動感のあるノリ。スウィング感。
↑グルーヴ感には明確な定義がいまのところ無いそうなので、私の解釈になりますが……。
まぁ「グルーヴ感がある=ノリがいい」というカンタン解釈でほぼほぼ問題ないかと思います
この歌は誓いやForevermoreほどリズム・音程は難しくないけれど、この曲の真の魅力を出して歌うには、このグルーヴ感の習得が必須なのである。
ひとまずここまで……💧
後半を書いたらすぐアップしますね💦
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